ご挨拶  

 

    

      ご訪問ありがとうございます。

  ご縁に感謝いたします。

 

 

  意識改革・起業を支える起業覚悟構築コーチング

  人材育成コンサルティング

  の

  咲々木初美です。

 

 

       私事で恐縮なのですが、私の起業は2010年になります。


   正確には1988年。

   子育てサークルを立ち上げ、1年間『どろんこ教室』という『ママと一緒の造形教室』

   を小さく運営したのがスタートです。

   当時32歳、長男3歳・長女1歳を連れて。


   我が家は転勤族でしたので、両親は遠く離れた場所に住んでいて
   親を頼ることもなく見知らぬ土地での子育てでした。
     出産も里帰りせず、筑波大学近くの社宅で生活をしていました。

    当時を振り返ると、忙しくもあり楽しくもあり、
    自然を身近に感じながら豊かで幸せでいっぱいの日々を送っていたように思います。         公園デビューど真ん中世代です。


   その後

   関東からの引っ越し(我が家は転勤族です)で福岡は11年目になりますが

   起業に関しては、

   知り合いなし、土地勘なし、人脈なし、実績なし、4人の子育てをしながらの

   アラフォー過ぎての起業でした。

 

   現在も少しずつご縁をいただきながら活動を続けさせていただいています。

 

   本日もご縁をいただき誠にありがとうございます。

 

   私の起業継続も山あり谷ありの日々でした。

   プロフィールページにその経緯を記しておりますが、

   その起業以前の「起業序章」なる経験もありますので

   よろしければ目を通していただけましたら幸いです。

 

                                   

  <咲々木初美 起業story序章>

  実は私、
  2002年に、 命を落としかけました。

  そう、死んでいたかも、ということです。

  結婚後、
  子宝に恵まれた私は4人の子供を出産した際のことです。

  4人目の出産のとき、これが最後の出産になると思い、
  妊婦健診に通っていた大きな病院から、

  臨月近くになって個人医院(産婦人科クリニック)に 出産予定病院を変更しました。

  理由は、クリニックは個室であったことと、食事がおいしいと評判だったことです。
  分娩費用もそれほど高くはなくて、ゆったりと過ごしたい想いからそう決めました。

  予定日を10日過ぎても出産の兆候がないので、入院。
  あまり遅れると胎児の健康状態が心配だからと分娩誘導へ(これはよくある話です。)

  入院してからも、分娩の兆候かないので、分娩促進をしますということで
  分娩促進剤の投与が開始されました。
  (私は、看護師として産婦人科経験もあるので

    分娩誘導方法・経過等はよく知っていました。)

  出産当日朝、分娩促進剤(点滴)を投与されながら
  ドアの向こうでドクターが「今日は〇〇があるから、5時までには・・・」
  という話声も聞こえました。
  私の他にももう一人、分娩予定者がいました。

  要するに
  昼間の時間帯で私の分娩ともう一人の分娩、外来業務を終わらせて、
  夕方5時からの外出に間に合わせるということです。
 (これはよくあることなので、仕方ないなぁ と思っていました。)

  午前中から分娩促進剤を投与された私は一気に陣痛が来ました。
  激痛です。

       途中経過省略

  無事出産を終えた後、病室にもどりぐったりしている私のところに
  分娩後1時間のチエックに看護婦さんが来ました。

  そして、

  大慌てでナースステーションに戻ったんです。

       途中経過省略
  
  産婦人科で一番怖いことが
  起こっていました。

   それは・ ・ ・   。
 
       「弛緩出血」です。

 

   これは、本人に自覚がないのです。

  自覚がないまま、
  大出血を起こしていました。

  身体中の血液が体外に流れ出るのです。

  それはあっという間の出来事なんです。
  牛乳パックの口を開けたまま牛乳パックが倒れるのと同じです。

  大慌てで
  ドクターが駆けつけました。

  すぐに救急車が手配され、
  大きな病院に搬送になりました。

  自分の状況は、すぐに理解できました。
  このままんでしまう と。

 


   「こんなに簡単に死がやってくるんだ。
    うそみたい。
    このまま意識がなくなって、死ぬのか・・・ 」

 


  生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめながら
  この子が無事に育つよう念じ、
  「この子を、よろしく頼みます。」
  とやっとの思いでひとりの看護部さんに告げ、

  生まれたばかりの赤ちゃんと別れました。

  救急車の中で、
  救急救命士が私の血圧を読み上げる声がかすれているのがわかりました。

  私も所々、意識が飛び始めました。

  遠くにお花畑がみえそうで、
  気持ちよくなってきたみたい…

  と、その狭間で
  ものすごい恐怖が襲います。

  でも
  ここで思ったのは、

  「決して 恐怖を感じてはいけない」 
  ということと、
  「決して 眠ってはいけない」
  ということでした。

  誰も信じない。
  信じられるのは、自分だけ。
  そう思いました。

  絶対、死なない。
  そう自分に言い聞かせて。

  大病院の緊急オペ室では何人もの医師や研修医が私を囲みました。
  手術中も眠りませんでした。
  自分が受けている処置をすべて記憶するかのように。

  手術が終わってからも、
  自分の身体に詳細に意識をを向け、決して眠りませんでした。

  1晩開け、もう命は大丈夫だと自分で判断してから
  やっと眠りにつきました。
  (翌日、ドクターに言われました。あれから爆睡しましたね すごいですねと、)

  命が助かった私は
  生きていることの素晴らしさと感謝を忘れることはありません。

 


               生きていたら、
            生きているだけで、
            素晴らしいって。

 

 


     1歩間違えば
  私は
  もうこの世にはいませんでした。

  私の命が助かったのは
   ・出産(事故)が昼間だったので、発見と対応が間に合ったこと。
 
   ・自分自身の生命力の強さ。
 
   ・運が良かったこと。
 
  だと思っています。

  その後大病院での治療が続き、
  自分の赤ちゃんに会えたのは出産後6日してからでした。 
  6日目に元のクリニックに戻り、数日後に退院しています。

  これは明らかに、医療ミス医療事故なのです。
  この道の事は知っているので、詳細を報告できるほどです。(詳細省略)

  でも無事に帰ってきたので訴えるなどは考えませんでした。

  こうして
  生きているありがたさ
  生きて帰ってきたありがたさと共に

  「これからは自分のためだけでなく
  何かのお役にたてるよう生きていこう。」

  と、

  漠然と且つ、強くそう思いました。

 

 


  この想いが
  私の起業storyの序章です。

 

      起業を通じて

  「生きていることの素晴らしさと可能性を信じて生きていく事」

   そして

  「子供たちが希望を胸に、夢を持って生きていく姿を応援する事」

   これが現在私の「起業使命」です。

 


   ☆

 

 

  それ以降の起業に関する経歴は

  プロフィールページにご紹介をさせていただいています。

  最後までお読みくださりありがとうございました。

  咲々木初美



 
  *セミナー受講者様には受講特典として、

   スカイプもしくはお電話による無料相談を承っています。(60分)
   この機会にぜひご利用くださいませ。お申し込みはメールにて承ります。


  :連絡先:
   MAIL: hs75winds@yahoo.co.jp
   skype : hatsumi-sasaki                
   咲々木初美まで
  
   <主な資格> 
   看護師免許・救急救命士免許・教員免許 有
   JADP認定
   チャイルドカウンセラー
   家族療法カウンセラー
   BTU基礎認定
   シータヒーリングTM認定プロティクショナー
   米国NLP TM協会 TM認定マスタープロティクショナー
   エネルギーマスター(望月俊孝氏認定EMセラピスト)
   クリス岡崎氏Moveコーチング認定

         量子場観察術


    http://ameblo.jp/dream-12345678/
    http://seminars-hs.jimdo.com/
          http://ameblo.jp/sukitt/


  

咲々木初美  Sasaki Hatsumi